岐阜建築探訪団

老人力でまちをみる

老人力
 老人力とは、ちょっとまえ話題フットー、反響サクサクの赤瀬川原平さんの「老人力」のこと。読んだ人たくさんいるだろうな。そんなもん知らんという人のためにすこし解説。芥川賞作家、イラストレータの赤瀬川原平が98年に出した本で、老人力は路上観察学会によって発見された。ろうじん・りょく[老人力]――物忘れ、繰り言、ため息等従来、ぼけ、ヨイヨイ、耄碌して忌避されてきた現象に潜むとされる未知の力。力といってもプラスではなくマイナスの力なのです。ただ大真面目に考えていくとその輝きが消えてしまうようで、理論がまだはっきりと見つからない研究段階みたいですね。
 そんな老人力を使って話を進めるわけですからそうとうヨイヨイの話になってしまいそうです。だから読んで得した損したなんていう経済効果を考える人は、これ以上読まないほうがいいですよ。

老人力の建物
 世の中骨董品ブームですね。ただ物だって欲がなくなったときにはじめて美的対象として把握できるそうですから、本当に美しいと思って集めている人ばかりじゃないでしょ。建築物だと古くなった建物は、少し内装しなおして、外壁塗り替えて、そうすりゃあ借りる人もいるだろう。そんなこっちゃあだめですね。古くて、使い勝手がわるくて、不経済で、駐車場がなくて、早く壊して奇麗なビルにでもしたい。こんなのに老人力が隠されているんですよ。たぶん。どこにあるかというと民間だと問題があるから、公共の建物でそうそう街の真ん中にある、フムフム庁舎、その向かいのフムフム大学病院。いつも駐車場を待つ車でごったがえしているけど、そこを使う人とはちがう次元にあるように存在しているだな。まだまだそんな建物はたくさあったけど、多くが何でもないものに変わってしまっちゃった。

人が住むこと
 郊外の大きなショッピング・センターは休みの日にはいつもにぎわっているね。何百台もの車をのみこむ駐車場では、多くの買い物荷物を持った人々が車に乗り込み、郊外の自宅へ帰っていく。まちの中心地柳ヶ瀬はどうなんだろう。昔ながらのナニナニ商店街はどうなんだろう。駐車場がないからとか、アーケイドが古いからとか、日本経済がよくないからとかでみんなが心配している。住む人も減って郊外から通ってきてお店をやっているところもたくさんあるみたいですね。お年寄りたちは、若い人が住まなくなったまちで消えていってしまう。人が住むということは、目には見えない別の何かが潜んでいるような気がするんだけど。どうおもいます。

老人力のまち
 これを老人力でみると、すごいすごい。明るい未来が待っていそうですよ。経済効果なんてなくなって、肩の力なんか抜けちゃってまちん中を朝早くから歩く歩く。ちょっと昼寝をしてまた歩く歩く。持続して眠るためには大変なエネルギーが要るらしいから。だから24時間が一日ていうのは考え直したほうがいいそうですよ。一日が何回かやってくる。
 車なんか頼らないから、歩行専用の道で十分。あれ、なに買うんだったか忘れちゃってうろうろしていても、車が入ってこないから交通事故なんておこりっこない。ガーデニングブームだけどじつはあれ老人力らしいんですよ。だから広い道の半分くらいに木植えたり花うえたり、野菜もつくっちゃたりして。木はドングリ拾ってきたり、きのう食べたかきの種植えたりして、最初から育てていくんですよ。若木のとき酸素いっぱいだすみたいだから。お金かかんないし。そういやあ子どもんとき近所のいちじく食べたり、にわのかき食べたり、あけび食べたりでお金かかんなかったな。家んなかなんかにいなくってみんな道にでてて、あっちこっちで何度も何度もした話また何度も何度もして。町中、地味に華やいできたりして。
 もう一つ大事なのは、お墓。以前、岐阜駅高架下のコンペでお墓つくったらどうかなって出してぼつになったけど。三月の二十日ころ地下鉄で鶴舞線乗っていると、八事あたりであばあちゃんいっぱいで妙な雰囲気だけど、お墓行くっていうのはすごいパワーだね。でもこれはプラスのパワーだから老人力じゃないですね。

まちづくり
 すこししゃきっとして話をすると、わたしは岐阜・まちづくりの会というのをやっていますが、さまざまな場所で、すでにリタイヤされた方がとても積極的に行動されているのを感じています。それは若者のパワーとは違ったものです。確かな価値観と美意識をもっておられるからだと思います。
 老人力の建物にしても、老人力のまちにしても、今私たちが作っているものが本当にそうなりえるのかが問題ですね。老人力の価値もないものなのか、本物を作り残していかなくちゃいけないなフニャフニャフニャ。

一級建築士   東海女子短期大学非常勤講師
加 納 一 郎