フォーラム

 岐阜公園の歴史博物館の隣にひっそりと佇む名和昆虫館。大きな楠の木の下で、木漏れ日と新緑に囲まれ昔と変わらない姿で残っていた。
 名和昆虫研究所は岐阜蝶の発見者である名和靖氏によって明治29年岐阜市京町に開設され、その後岐阜公園に移転。記念昆虫館と昆虫博物館の2棟の洋館が建てられている。
記念昆虫館は明治40年に多くの人の寄付により、竣工、煉瓦造と木造を併せた赤い切妻屋根のヨーロッパ風。屋根に突き出た小窓が印象的で外壁はコケが生え、所々欠けていて古びているもののその趣はとても素敵である。
 一方昆虫博物館は大正8年に県人林武平氏の寄付により竣工、煉瓦造に外部は白いタイルを貼り内部は漆喰塗りギリシャ神殿風。記念館とは違った趣である。
 この建物を設計したのは当時の新進建築家ともいわれる武田五一氏で、五一は広島出身で東京帝国大学卒業後大学院在学中、日本勧業銀行を完成させ、その後渡欧。
ヨーロッパ各地を旅しながらウィーンのゼセッションやアール・ヌーボーといった建築工芸運動に影響され作品の多くに表現されています。
その一方で日本の茶室や古社寺の研究、保存に力を入れ五一の日本への関心は後年の作品に変化をもたらすのでした。
創設者の名和靖氏は瑞穂市(旧巣南)出身で小さな頃から昆虫採集に没頭し独力で研究所を開設、外注駆除、益虫保護に力を入れ白蟻駆除については先駆的でした。
博物館の1階に2階を支える古い丸柱があるのをご存知でしょうか。これは当時、奈良唐招寺の解体修理で白蟻被害にあった柱を再び利用したもので記念昆虫館の中に意外にも六角堂として残っており、名和氏と五一が古材の保存再利用を考えていたこと、また五一が西洋の様式に日本の様式を加え新たな形を造り出そうとしていたことが伺えます。
今回幸いにも探訪記を書くという機会が与えられ何十年ぶりかにここを訪れました。私は岐阜に育ち建築に携わってまいりましたが、幼い頃よく訪れた昆虫館の存在を忘れかけていたように思います。日本の建築文化にこだわりをもち新たな形を創造した五一の思いは、建築が新しい物を創り出す事ばかりではなく古き良きものを敬愛していくことも大切だと現代の私達に語りかけているかのようです。それは建物だけでなく街についてもいえるのではないでしょうか。この場所をこの建物をこよなく愛する岐阜の人々の思いが今もなお伺えます。
小林由記