フォーラム

構造設計者のつぶやき(後編)
構造設計と構造計算では何が違う?

芝川@芝川構造設計室

 前編で書いたとおり、想定されたことがはっきりしているならば問題は少ないが、時に、想定されるべく仮定がない問題に答えを要求されることもある。
 「小さな物件だから少々揺れたって良い」という命題を意匠事務所の方から頂くことが多々あるが、大きい・小さいの定義、揺れるってどういうレベルなのか、そもそもその命題は誰が決めたのか、わからないことが多い。
わからないことを自分の器量に求められ、答えを出すならまだ良いが、聞かれている事がうやむやのまま、「返事をすること」だけを要求されることには違和感がある。
 あえて言うと、「構造設計者は、構造設計の全てがわかっている」と思われているならば(思われていないでしょうが)、口を閉ざさざるを得なくなる。
「震度6程度の地震がきたらこの建物は壊れるのか?」という質問に口を閉ざしてしまう事も含め、建築学会の権威有る先生方が決められた部材の設計式の論理的な意味、経緯など、それさえも全てわかってはいない。いや、わかっていないなどというとそうでない人々に怒られてしまうが、全てがわかっているなどと豪語できる人はいないのではないだろうか。

■ 構造計算以外にやっていること・以上にやっていること
 構造計算というものは、暗算のレベルにしろ電卓のそれにしろ、またPCを使ったソフトによる計算にしろ、数値入力間違いは論外として、間違ったモデル化をしない限りは正しい答えが出る。しかし、
1)そもそもモデル化が間違っていることは十分考えられる。
2)机上の論理だけでは解決できていない問題も多々ある。
3)書物に書いてある数々の経験談的な警鐘は頭の中にいくつも断片的にある。
など、いろいろな場面や工程で、構造計算による検証は、真の建物の挙動からは「間違っている」事に繋がっている恐れがある。よって、構造計算そのものは、最重要な行為ではなく、一検証に過ぎないと考えたい。
短スパン部材のせん断補強、耐震壁まわりの境界部材の補強、万が一に支持部材が破断した場合の落下防止など、これらは構造計算をしさえすれば解決できる事柄ではなく、「真に起こる建物の挙動を捉え切れておらず、自分の設計は間違っているのではないか?」と、夜寝られないぐらい悩む場合、悩む人も多いところである。
 現場監理の上でも、構造計算にとらわれたやりとりは多い。現場からのVEにしろ、作為的でない不具合に対する処理にしろ、構造計算で(算数的な処理で)解決しがちであるが、実は根が深い問題である場合も多い。その多くは構造設計者が構造設計で考えていることを尊重されず、構造計算で解決を迫られ、情緒というか設計の思いが伝わりにくいため、事がクールに処理されてしまいがちである。鉄筋コンクリート構造で、どんな不具合であっても、どんな場合でも鉄筋補強でまかなおうとする現場の対応は、一見もっともらしいが、実は始めから作り直すしか求めている性能になり得ない場合もある。戻りたいけど戻れないという現実的な話である。
 構造計算なんて考えていることの一部のことであるのに、全てはそこに託される。ここを否定すると自分の仕事を過小評価することに繋がるので、「計算なんて〜」とは大きな声では言えない。
 また、何度も言うことになるが、計算はあくまでもある仮定の下に確からしい結論を見いだしているに過ぎない。仮定はいくつも立てられるし、結論と言っても仮定が変わればいくらでも変わるものである。
 本質的な検証は、そのような仮定さえ揺らぐ計算にではなく、多くの偉人・賢人の培った事、それを引き継いでいる自分たちの知恵で行うべきであると強く思っている。

■ 構造設計者として
想像行為、個人的思考である限り、何を間違っているかわからない。(わからなくても紙の上では事故には繋がらない) 「間違っていない!」と言い張れる人は凄い人。
それ以上に、間違いに気が付いていない自分、ことがあるのが恐ろしい。
 見識のない、経験も浅い「いち構造設計者」にとって、自分のやっている実作業は、どこまでも検証行為であり、実際に起こる地震による建物被害の結果を予測する(できる)ことは不可能である。だから法を遵守することは大切である。また反面、人間が作った法・基規準などというものは、使い方次第で間違った方向へ行くことも否めない事実である。
 しかしながら、どんな言い訳をしても、任された責任は重い。特に人の命を授かっている職種である。
 それでも一人の人として、誰とも比することのない存在感のある構造設計者として、良い空間を創りたい。
 更に、設計行為の中で、「構造設計はストイックなものだ」とよく比喩はされるけれど、建築(建物を造る)行為は一人でできるものではなく、多くの人々によって為される行為である。
 また、建築行為は事故を起こしたら、「いち人間」の責任などということで言い逃れできないほど、莫大なエネルギーが蓄積されたものである。
 いろいろな相克する、矛盾する気持ち・行為が内在する職能ではあるが、託されている事を糧に、自重と研鑽を心掛け、創造している喜びを全うしたいと思っている。