フォーラム

構造設計者のつぶやき(前編)
構造設計と構造計算では何が違う?

芝川@芝川構造設計室

 構造設計者の第一人者である木村俊彦氏の著書「構造設計とは」(鹿島出版会)に次のような行(くだり)がある。
『建築の設計に構造の知性の関与しないものはない。新しい空間の開発から、保守的な安全確保に至るまで、全ての建築には構造が加わっており、構造の意志決定に依存している面が多く、それだけに建築家には構造の尊重を、構造家には自重と研鑽を呼び掛けなければならない。』
設計における自分の立ち場に迷いがあるとき、この言葉を思い起こすようにしている。
 構造だけに限らず設計は、想像行為であり個人的思考の産物になることは免れられない。そうすると「間違う」ということはいつも付きまとう。設計行為そのものは、意匠事務所の構想段階で有れ、実施設計の過渡期で有れ、あくまでも机上の行為であるので、構造体は壊れないし、間違った力学を解いても目に見えて何が起きるわけではない。
 「間違う」ことを怖がっていれば新しいものは生み出せない。「間違う」ということを軽く思えば人の命を奪ってしまうこともありうる。設計とはそういうものではなかろうか。

■ 構造設計の流れ
 多くの構造設計への取り掛かりは、意匠事務所の平面計画打診から始まる。建物の用途、規模、特異なことなどを聞きながら、意匠事務所が何を応えとして要求しているのか…探りながら会話をする。何構法が良いのか、どんな工法を採用することが可能なのか、そして現実的な話を進める中で、支持材をイメージしながら構造計画に入っていく。
日本人は、畳での生活であるがゆえ平面的な大きさを把握するのが長けている事はしばしば言われることであるが、それと同じような意味で、建築を学習してきた人は、鉛直荷重に対する支持部材のバランス感覚について長けているものである。建築計画、建築史、環境工学など、視覚的に多くの建物を見ているために養われた能力なのであろうか。しかし、構造設計上、非・常時荷重として考えるもう一方の水平荷重に対する感覚については劣っている事も周知の事実である。これは構造力学という一般に嫌われる物理学の学習なくして養われないものなのだからであろうか。
それ故、この時点での互いの微妙な意志疎通のずれは、水平力に対する構造計画に大きく影響する。
隔たりのある耐震壁の配置は良くないという基本的な事だけではなく、市松模様の耐震壁配置の優位さや、建物外周部に耐震壁があればねじれ剛性が大きくなり偏心が生じにくいなど耐震壁に関わることを始め、柱の引き抜きを生じさせないためには外端スパンを広げた方が有効であるなどというスパン割り(これは良いことだけではなく、外柱の長期応力が大きくなってしまうので欠点もある)に関わること、平面的にバランスが悪いのなら、せめて床剛性を上げ耐力の大きなフレームに力を伝達できるようなシステムとしたいとき、大きな吹き抜けを計画されてしまうなど、そのような事例はいろいろある。
常時建っていることには理解があるため、それに必要な処置には返事が快いが、前記のようなことには結構返事が鈍いものである。
また、建築に対して何もイメージを表現したものさえなく、構造設計の「何か」に過剰に期待してくる「意匠やさん」がおられるが、私は「建築計画なくして構造計画なし」と考えている人間なので、さっぱり何をすればいいのか理解できず、無駄な時間を過ごすことも多い。この辺りの仕事の領域という部分は、「コラボレート」という名のもと、いろいろな立場の設計者が共同して建築に取り組んでおられる人々もおり、意匠事務所、構造事務所の役割はこのようだというように決めつけず、互いの能力を相乗させるようなやり方をされている。そのような意味で、私の見識が狭いのかも知れないが、ある特定な人でない、また一般論的な言い方をすれば、多くの構造設計者は発案者でないので、立場の違う要求に戸惑うことも多々ある。
イメージの次には、自分の考えていること、仮定していることが概略間違っていないか、電卓をたたきながら検証するという行為になる。この時点では非常に大雑把な行為であるが、誤解を覚悟で言うと、最終的に行う構造計算書の作成も、本質的にはこの行為と違わない。考えたことが概ね合っているか確認するために私は構造計算をしており、よく言われる「第三者にも内容がわかるため」とか「設計図書として」という意識は少ない。
ただ、本質的には変わらない行為なのであるが、確認申請が許認可行為であり、構造計算書がただ一つの「間違いのない」書類だと思われているため、その整理に多大な労力を費やす事になる。構造設計は想像(仮定)し、思考(検証)する行為なので、仮定が変わればスタートまで戻される。特に「間違いのない」整理された書類を作るための労力はかなり多大である。
 以上のようにあれこれ考えながら、計画、検証、見直しを繰り返し、総括的に自分なりのバランスを保てたとき、一応の区切りをつける。設計図書として残る構造計算書の作成作業、そしてこれらのことを人に伝えるために構造設計図の作成を行う。
 こうして書きながら自分の行っていることを振り返ると、何と曖昧で結論付けにくい事をやっているのだろうと感じる。
構造計算書という数式の羅列した書類を作成しているため、明確なストーリーのある仕事だと思われがちであるが、実は論理的な部分は少なく、情緒で行っている仕事なのかも知れないと感じる。